先祖代々の家族墓

先祖代々の家族墓

ここでは、先祖代々、自分の先祖が入っている、家族のお墓について考えてみたいと思います。
家族はみんな、同じ墓に入るもの。そうですよね!!でもこれって、戦後、世の中が安定してきて、生まれてきた考えなのです。宗教法人参事が書いています!

もともとお墓は石積みの墓か五輪塔

京都の街中に、各宗派の大本山があります。特に臨済宗の大本山には、錚々たる武将のお墓があります。特に京都北区の大徳寺。織田信長の父のお墓。毛利家、小早川家、蒲生家、・・・名前も馳せた、有名な武将のお墓は全て五輪塔です。

もともとお墓は石積みの墓か五輪塔

もともと、戦国武将は、お墓はあるけれど、遺骨は納まっていないらしいです。戦国武将は戦場で死ぬのが当たり前。残された奥方や遺族が、戦場でその躯を探す事なく、五輪塔を建てて、その菩提を弔ったと聞いた事があります。ですから、五輪塔には、お骨を納める場所、納骨のスペースが無いのです。しかし、そこには、奥方がお経を写した、写経が納まっているそうです。

ただ、天下人の秀吉は京都東山、高台寺にあります。しかし、立派な五輪塔が残っているのは、名を馳せた、一部の武将だけです。一般庶民は、弔いも無く、地に果てたのでしょう。土葬されるのはもっと後半。地に果てた、その近くのいい場所、高台に、石積みをして、弔ったそうです。

いつから、家族みんなのお墓に?

江戸時代の泰平期を終えて、明治・大正と・・・。その時代、立派な石のお墓を持てるのは裕福な者に限られていました。古いお墓はたくさんありまますが、ほとんどが時代の名士です。昔からお寺の檀家として、お寺に協力されてきたおうちです。

この家族のお墓が、一般的に広まったのは、戦後の高度成長期と言われています。一般庶民の生活の安定とともに、立派なお墓を建てる事は、経済的な安定を記し、その家族繁栄を願う事になります。

高度成長期までは、お寺のお墓と、村人だけのお墓と、自分の土地にある昔からの埋葬地しかなかったのですが、高度成長期に墓地埋葬法という法律もでき、民間資本や行政によって、中規模から大規模の霊園ができました。それから、お寺離れが加速されたと聞いています。

また、家族みんなのお墓に、変わってきました。

家族みんなのお墓

 

もともとのお墓は小叩き

戦前に建てられたお墓を、古いお寺の墓地で見る事があります。今のように、つるつるピカピカではありません。面を叩いてあります。小叩き(コタタキ)という技法です。

表面はざらっとしています。そのために苔も付きやすく、汚れも落ちにくいです。その点、近年の磨きのお墓はきれいですね。掃除もしやすく、汚れが付くのは文字の彫刻の所だけ。

でも、この小叩き、あえてこの加工を好まれる方もおられます。もともと、神社仏閣にお参りする時は、眼鏡をはずすのが良いと言われています。

何故でしょうか?メガネのように、表面がきれいで、光輝くものは、神様・仏様のご加護を跳ね返してしまうそうです。この磨きのお墓も、自分たちの先祖への思いを跳ね返してしまうという考えもあるようです。小叩きの技法、お墓参り行かれたら、特に、お寺のお墓には、見かける事があります。

もともとのお墓は小叩き

 

お墓は和風?洋風?

お墓の形状は、ここずーっと、ほとんどが和風でした。まず墓所を囲む、まき石(囲み石とも)があり、土が盛ってあります。そこに納骨するスペース、カロート(納骨棺)と言われるものがあります。そして、下台・上台・仏石と3段積みのお墓です。

仏石にお題目や家の名前を刻みます。あるご僧侶曰く、仏石には、お題目(南無阿弥陀仏・南無妙法蓮華経など)を彫ってこそお墓です。家名を彫るのはいかん。それは家の看板・・・とある記事に書いておられました。宗教的な意味合いでしょう。

そして、余裕がある方には、蓮華・芝台・拝石・霊標・門柱・玉垣・・・など。ほんと、立派なお墓になります。そのためには、大きな墓所が必要です。

でも、近年の傾向として洋風墓石が増えました。正面の文字には、家名もしくは、自分の大事にされている文字を彫刻です。「愛」「和」「絆」・・・。

従来の概念とは離れて、先祖を偲ぶためのお墓が増えています。

お墓の形状は、ここずーっと、ほとんどが和風でした

洋風は地震に強い?

洋風のお墓は地震に強い?。これは事実です。阪神や東北の震災の時に被災された映像が、たくさん映っていました。そのなかに、お墓の倒壊の映像もありました。震災後、少し、生活、インフラの復旧が進んだ時に、そのままにされていた、倒壊したお墓の映像が流れます。お墓の復旧が待たれます・・・そんなナレーションと一緒に、倒壊したお墓の映像が見られました。そうです。お墓は地震に弱いのです。あんなに重いのにと思われます。

和型のお墓は最小、3段に積み上げます。和型のお墓は高ければ高いほど、立派と言われましたので、立派なお墓は、舞台式巻石、芝台、蓮華という部材を足して、見上げるほど高くなっています。結果、ますます、地震に弱くなっていくのです。でも近年では、和型の墓石に、耐震加工を勧めるところが増えました。中心に軸を1本入れるだけで、地震に対する強度が倍増します。いい事ですね。

その点、洋型のお墓は2段積みが多いです。なおかつ、洋ナシ型で、下に向かって広くなっている形状です。当然、地震に強いです。

洋風のお墓は地震に強い

洋風墓石でも芝生墓地が最高?

従来の和墓所に、囲み石があって、洋風のお墓が置いてあります。それはそれで素晴らしいお墓です。でも近年、増えているのは、芝生を引いた墓所に洋風の墓石が置いてあります。通路も芝生、そのため、囲み石もありません。

全国的にも増えてきています。関西では芝生洋風墓地で有名な霊園があります。京都府宇治市にあります京都天が瀬メモリアル公園は芝生洋風のお墓です。

通路も全て芝生。だから、通路が広いのですね。それなのに、管理は寺院が行っているので、没後の供養も安心です。

芝生を引いた墓所に洋風の墓石が置いてあります

 

家族のお墓は、家の繁栄の証

家族代々のお墓を建てる事。長男様の仕事です。また先祖が建てたお墓を守るのも長男様の仕事でした。長男様の仕事ってたくさんあります。でもそれは仕方がない事だったのですね。昔、今でも地方へ行くとあるそうですが、家の家督は全て長男様が継いだのです。次男・娘たちは、家督相続もなく、長男が絶大な力を持っていたのです。

そして長男が継いでいく立派なお墓は、家族みんなの誇りだったのです。その家の長が立派で、その家系が繁栄していれば、立派になるのは当たり前です。

よくお墓の開眼法要の時によく聞かれます。●●ちゃん、よう頑張ってお墓、建てられたね。これでお父さん(故人)も喜んでいるやろ・・・。

年長のおばちゃん。おじさんが褒めておられる事があります。そうです。お墓の建立は、家族の称賛と共にあるのです。ですから、みんなでお墓は守っていくものです

家族のお墓は、家の繁栄の証

 

何故、次男は家族の墓に入れないの?

これも、よく聞かれます。何故、次男は家族の墓に入れないの?。概念的にそうなんだと思われている方も多いです。でも、理由があります。

お墓とは財産ではありません。客観的にいうと、お墓は負の財産です。お墓は、墓所・墓石・遺骨で成り立ちます。墓所とは、使用権です。使う権利にはお金を払うけど、所有権、自分が持っていると他人に対抗する権利。。。。これではないのです。という事は、墓所を墓地管理者に返しても、お金は返ってこないのです。墓石、これは数十万円から数百万円までお金を使われます。でもその石材を買い取る業者は、ありません。結局、お墓は建てた時点で価値はゼロになります。

遺骨はどうですか。引き取り手はありません。お寺が、お布施を頂かれて、供養されます。つまり、長男は家督を継ぐ代わりに、お墓という、借財を背負うのです。次男が、先祖の墓に入りたいといった場合、同世代、(兄弟間)では問題は起こりません。問題は次世代です。長男の子供が墓を守っていきます。当然、お金もかかるのです・・・。

次男が、お金も払わずに、長男が建てた墓に入る事に対して、長男の子は、いい気持ちはしないです。いとこ同士が喧嘩する種になります。だから、次男は自分が墓を建てて、次世代に墓を残していくものです。そうすると、親族でトラブルは起こりません。これは法律ではありません。ご僧侶、先人が教えてきた事です。

でも、近年、お墓も大きく変わってきました。

家族で、お墓を守っていく事が難しくなった現代、先祖代々の家族墓で家ではありません。夫婦だけのお墓、親子だけのお墓、兄弟のお墓、内縁の方のお墓、愛人と入るお墓、女性だけのお墓・・・・様々な供養の仕方があります。長男が守る家族のお墓だけではなくなりました。いい時代になりました。

京都府宇治市、平等院から5分のとことに天が瀬メモリアル公園というお寺が主催する芝生を一面に引いた洋風墓地の霊園があります。ここには、家族墓から、二人で入るお墓まで、様々な供養が提案されています。一度、資料請求しておきませんか?

また関西は遠いというご家族は、いいお墓というポータルサイトが便利です。地域で墓地を探せます。

 

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